続 染めのお仕事

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続 染めのお仕事

On 5月 26, 2017, Posted by , in 着物作り, With No Comments

 

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今年はすでにチョコミントアイスを食べて、チョコミントカラーを染めている、カラーズ京都の長瀬澄人です。

 

もうすっかり暑くなってきてますね。

単衣どころか浴衣でも過ごせるくらいでしょうか。

 

まず忘れないよう最初にお知らせ。

5月のカラーキャンペーン「ブルー」は終了間際です。

ご相談ございましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。

 

さて前回、染めの仕事についていろいろ書いてみましたが、今回もその続きというか、私個人の考えなどを付加した内容です。

 

私自身は、20台前半に修行をしていた時から、30歳までに独立し、自分の工房を構えようと決めていました。

その当時、すでに生産量は減少の一途だったことから、無駄のないコンパクトな体制で、工房での全ての業務を自身でできるようにしておかなければ時代に対応できないと思い、色合わせから柄付けなどの技術全般を何度も反復し身体に叩き込み、その他デザイン面も独自の研究と、師匠から学ぶことで身に付けていました。

 

音楽に例えるなら、一つの楽器を演奏できるというだけでは、プロとしてやっていけない時代になっているようなものです。

主要な楽器全般を演奏し、作詞作曲、編曲、さらには高い水準でレコーディングまでできるような人材でないと、そうそう仕事が回っては来ません。

 

着物でも全く同じことで、一つの技術を持っていることは貴いことですが、それだけではなく、自らアイデアを出すところから、完成するまでのこと、またそれを外に向けて発することもしなくてはいけない時代が来ています。

かつては「職人だから」という言葉によって、他の範囲のことは考える必要も、する必要もないかのような、どこか制限をかけていた節があったかと思いますが、私は反対に、職人こそが頭を使うことや、広い見識を身につけること、また外部とのコミュニケーションを大切にする必要があると思います。

 

修行していた時は、早く独り立ちしたい反面、遠回りをしてでも多くを習得するために堪え続けていたことが思い出されますが、ようやく独立ができたのは27歳の頃でした。

ちなみに父親も職人としてゼロからスタートし、工房を構えていましたので、それを継ぐという選択肢もあるにはありました。

しかし安易にそれを選び、たいした努力をしないで厳しい現実に対して不満ばかり言っている二代目三代目という、よくあるパターンにハマりたくなかったのと、単純に自分でスタートしたかったので、そうすることにしました。

 

それに、自分自身の決断で起業してできないような、か細い精神力では、どの道この先仕事として続けることはできないと、容易に想像できたというのもあります。

 

そして、10年間アトリエをやってきて思うのは、本当に大変だということです。

もともと何でも前向きにトライする性格だったものの、上手くいかないことばかりで、どれだけ頭を抱えてきたか、本当に数え切れません。
そりゃ後継者が育たない業種だというのも身に染みて理解できます。

 

しかし私自身は不思議と辞めたいと思ったことは一度もなくて、大変さを上回るだけの喜びを得ることも可能だと実感しています。もちろん辛抱強さが要りますが。

昨今、ブラック企業だとかブラックバイトという言葉を耳にすることが多いですが、客観すると染職人が置かれている状況というのは、筋金入りの真っ黒と言うか、艶出しのジェットブラックと言っても過言ではないと思います。

 

でも私の目線からは、自分次第でその色は、明るくも暗くも何色にでも調整できるし、美しいと評価してもらえる仕事だと捉えています。

だからカラーズが実際に染める着物の色は、明るい色目が多いのかもしれません。

これまで無意識でしたが、そんな気もしますね。

 

誰もやりたがらない仕事となってしまった、染めの仕事ですが、私は周りからどう思われようと、ひたむきにやってきた甲斐あってか、おかげさまでどうにか継続しています。
そして、お客様と着物についてのやり取りをする中で、この仕事をしていて本当に良かったと思います。

 

またもや長文で、ちょっと優等生な内容過ぎる気もしますが、その分、染める着物には遊び心たっぷりで、これからもやっていきたいです。(笑)
どうぞよろしくお願いします。

 

 

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